吸江寺の歴史

吸江寺の歴史

創建に際しての開基は江戸幕府初期に京都所司代を勤めた板倉重宗公の夫人、戸田氏鉄の娘、名は鉄女(法名は瑶樹院殿宝林清月大姉、寛文8年1668年寂)。 開山は開基の厚い帰依をうけた福岡彦山を出身とする石潭良全和尚(延宝8年1680年寂)。 当初は麻布櫻田町(現在の六本木テレビ朝日通り)にあった臥雲庵と號する草庵跡を購入して慶安3年(1650)に創建、元禄14年(1701)現在の地へ移転したといいます。

剣客で有名な辻月丹は開山であり剣道と禅に秀でた石潭和尚を師と仰ぎ吸江寺に通ったとされてます。ゆえに辻月丹を流祖とする剣術流派の無外流は吸江寺が発祥の地とも言われております。 境内に馬頭観音という古い石塔があり古くは幕府に仕えた馬の供養が行われていたとも言われてます。 また本堂内に安置している本尊木造観音菩薩坐像、達磨大師坐像、伽藍神倚像(がらんしんいぞう)の三躯は室町時代後期から江戸時代初期に作れたとされ禅宗寺院特有の尊像構成を示す貴重な作例と評価され渋谷区の文化財として指定して頂きました。 参考ページ「無外流兵法譚 吸江寺をさがせ!無外流が生まれた背景」 以前、ページ管理者さまから、丁寧な取材申し込みがあり、詳しくご説明させていただきました。 無外流という兵法の発祥地とのことで、違った視点から「吸江寺」を見る事ができます。


吸江寺の由来

山号は普光山。禅宗の一派、臨済宗妙心寺派を本山とする寺院。
「きゅうこうじ」または「ぎゅうこうじ」と読みます。

吸江寺という名は他の寺と比較しても珍しく高知市、愛知県犬山市、そして当寺と3カ所のみとなります。 下に説明する通り茶席でよく用いられる禅語をもととすること、また茶道と縁のある臨済宗ということで3ヶ寺とも臨済宗寺院、独特の名称のようです。
(各地吸江寺の繋がりは全くありません) 禅語「一口吸盡西江水 洛陽牡丹新吐蘂」

「いっくにきゅうじんすせいこうのみず らくようのぼたんあらたにずいをはく」 大河の水一切を飲み尽くせば、忽然と大輪の牡丹の花が咲く。 無から有が生まれ出る。悟りの境地と自由なはたらきを表してます。

茶人で有名な利休は大徳寺の古渓和尚に参じて、この「一口吸盡西江水」の語によって悟りを開いたといわれております。
おそらく吸江寺の開山和尚も、この言葉によほど特別な関心があり、吸江寺と名づけられたのではないかと想われております。